AI時代こそ、すべての卵を一つの会社に預けない
Gemini中心だった僕が、Google依存を見直した話
金融の世界には、誰もが一度は耳にしたことがある格言がある。
「すべての卵を一つのカゴに入れるな」
投資の入門書を開けば、たいていの場合、最初のほうのページに登場する言葉だ。
一つのカゴに全部の卵を入れて運んでいる途中で、もしそのカゴをひっくり返してしまったら、卵は全部割れてしまう。
だから複数のカゴに分けて運びなさい、という分散投資の比喩である。
僕はこの格言を、長いあいだ「お金の話」だと思っていた。株を買うなら銘柄を分けろ、業種を分けろ、国を分けろ、通貨を分けろ。
せいぜいその程度の意味で読み流していた。
ところが最近、まったく別の文脈でこの言葉が頭に浮かぶようになった。
きっかけは、AIとクラウドストレージの使い方を見直したことだった。
すべての卵を一つのカゴに入れていたのは、自分の資産ではなく、自分の「仕事道具」のほうだったのだ。
Geminiの時代と、Google一色の生活
少し前まで、僕の作業環境はかなりGoogleに寄っていた。
メインで使っていたAIはGeminiだった。
Googleのアカウントにそのままログインすれば使える手軽さがあって、出力も悪くなかった。
資料はGoogleドライブに置いて、原稿はGoogleドキュメントで書く。
スケジュールはGoogleカレンダー、連絡はGmail。スマホもAndroidだったから、写真もGoogleフォトに自動で吸い上げられていく。
文章を書いて発信している身として、こういう環境はとても快適だった。
Geminiにドライブの中のファイルを読ませて要約させる、という連携も自然にできる。
アプリ間の摩擦が少ないというのは、それだけで集中力を奪わない大きな利点なのだ。
僕は歩行に障害があって、外に出るのも、机に向かい続けるのも、人より体力を使う場面が多い。
だから「使う道具を増やさない」「迷わない」というのは、単なる効率の問題ではなく、その日一日働けるかどうかに直結する話でもある。
Google一色の生活は、その意味でちゃんと理にかなっていた。
ただ、ある時期からふと、別のことを考えるようになった。
「もし、このアカウントに、ある日突然ログインできなくなったらどうなるんだろう」
「もし」の話を、まじめに考えてみた
僕自身は、幸いまだアカウントロックやアカウント停止を経験したことがない。
だからこれはあくまで「もし」の話なのだけれど、ネット上には、アカウント停止やログイン不能で困ったという体験談が少なからずある。
僕自身が経験したわけではない。
けれど、可能性がゼロではない以上、自分の作業環境を一度見直しておく価値はあると思った。
身に覚えのない規約違反の通知が届いた、ログインできなくなった、問い合わせても解決まで時間がかかった。中に入っていた写真やメール、ドキュメントにすぐアクセスできず、仕事や生活に支障が出た。そういう体験談を読むたびに、自分の足元を見直したくなる。
ためしに「今夜からGoogleアカウントに入れなくなったら、自分は明日からどう仕事をするだろう」と考えてみた。
原稿のバックアップ、参照していた資料、書きかけのアイデア、やり取りしていたメール、購読しているニュースレター ―― そのほぼすべてに、Googleがどこかで噛んでいた。
卵は、一つのカゴにきれいに整列していたのだ。
格言の出番である。
Google一社依存から抜けるための、地味な引っ越し
それで、思い切ってクラウドストレージをDropboxに完全移行することにした。
理由は単純で、Googleと運営会社が違うところに、軸足そのものを移しておきたかったからだ。Dropbox自体が完璧なサービスだとも、未来永劫つぶれないとも思っていない。
だけど、少なくともGoogleアカウントに何かの理由で入れなくなったとき、Dropboxまで一緒に道連れになる可能性は低い。
リスクの相関が低い、という言い方をしてもいい。
これも投資の世界の発想だ。
「少しずつ移す」というやり方も最初は考えた。
一気に動かすのはしんどいし、二つのサービスを並行で持っておけば安心感もある、
と。でも、やってみてわかったのだけれど、二か所にファイルがある状態というのは、思っているほど楽ではない。
「最新版はどっちだっけ」という小さな迷いが、毎日少しずつ集中力を削っていく。
中途半端な分散は、安全どころかむしろストレスの種になる。
だから僕は途中で腹をくくって、原稿も資料も、生きているファイルは全部Dropbox側に集約してしまった。
Google側に残したのは、もう更新する予定のないアーカイブだけだ。
ただ、引っ越しを終えたあとで、自分の中で何かの設定が静かに変わっていった。
「Googleアカウントに入れなくなったら全部終わり」という前提で生きるのと、「入れなくなっても明日の原稿は書ける」という前提で生きるのとでは、肩のあたりにかかっている重さがまるで違う。これは数値で測れる効率の話ではなく、もっと内側の、安心感の話だ。
AIのほうも、同じことだった
ここで一段、話が広がる。
ファイル保管のカゴをGoogleから切り離したあとで、ふと、AIのほうはどうなんだろうと思ったのだ。
あの頃の僕はGeminiしか使っていなかった。
アカウントが止まれば、ストレージだけでなく、思考のパートナーまで一気に失う構造になっていた。
卵は、別の意味でも一つのカゴに入っていた。
それで、AIも分けることにした。
いま僕のメインの相棒はChatGPTで、サブとしてClaudeやGeminiも、用途ごとに行ったり来たりしている。
長めの文章を一気に書きたいときと、構造を整理したいとき、語感を確かめたいときでは、選ぶAIが少しずつ違う。
最初は「使い分けるなんて面倒くさいんじゃないか」と疑っていたのだけれど、実際にやってみると、思っていたのと逆の効果があった。
複数のAIを行き来していると、一つのAIに頼りすぎていたときには見えていなかった「クセ」が見えてくるのだ。
あるAIが流暢に書いてくれた文章を、別のAIに読ませると、まったく違う角度の指摘が返ってくる。
どちらが正しい、というよりも、両方の意見を並べて自分で決めるしかなくなる。
決めるのは結局、自分なのだという当たり前の事実に、あらためて引き戻される感じがある。
これは、一つのAIに丸投げしていた頃には起きなかった現象だ。
便利だからこそ、依存に気づきにくい
一つの会社のサービスに固めると、たしかに便利になる。
アプリ間の摩擦は減るし、ログインも楽だし、サポートの窓口も覚えやすい。
僕がGoogle一色だった頃に感じていた快適さは、本物だった。
ただ、便利さの正体をよく見ると、その内側には「依存」がぴったりと張りついている。
便利だから手放せない。
手放せないから、相手が条件を変えてもこちらは動けない。
こちらが動けない状態になっていると、料金変更や仕様変更があっても、ただ受け入れるしかなくなる。これも、考えてみればごく当たり前の話だ。
すべての卵を一つのカゴに入れるな、という格言が金融の世界で生き残ってきたのは、たぶん「人は便利さに弱い」という事実を、昔の人たちもよく知っていたからじゃないかと思う。
一つのカゴにまとめたほうが運びやすい。それは本当だ。
だけど、運びやすさと引き換えに失っているものがある、ということを、誰かが言葉にしておかなければならなかった。
僕がGoogleからDropboxへ軸足を移し、AIを分け始めたのも、効率を犠牲にしているという自覚はちゃんとある。
少しだけ手間は増えた。
完璧な統合環境ではなくなった。
それでも、手間が増えた分だけ、自分の足で立っているという感触が戻ってきた気がする。
ストレージはひとまずDropboxに集約して、AIは複数を行き来する。
一見ちぐはぐな組み合わせだけれど、これは「分けるべきところと、絞るべきところは違う」という実感の結果でもある。
ファイルの保管場所みたいに「最新版がどこにあるか」が混乱の種になるものは、一つに決めたほうがいい。
一方で、AIみたいに出力そのものに個性があって、別の視点が役に立つものは、複数走らせたほうが結果的に質が上がる。
同じ「分散」でも、対象によって最適な形は変わるのだ。
おわりに ―― あなたのカゴは、いくつありますか
最後にもう一度、あの格言に戻りたい。
「すべての卵を一つのカゴに入れるな」
これはきっと、お金の話だけじゃない。
仕事道具の話でもあるし、情報源の話でもあるし、もしかしたら人間関係や、心の置きどころの話でもあるのかもしれない。
一か所に全部を預けてしまうと、その一か所が揺らいだ瞬間に、自分まで一緒に揺らいでしまう。
だから、いきなり全部を分散しなくてもいい。
今日、いつも使っているサービスから一歩離れた場所にも自分の居場所を作ってみる。
今週、いつもと違うAIに同じ質問をしてみる。
それくらいの小さな一歩で、たぶん十分なのだ。
すべての仕事道具を、一つの会社のカゴに入れない。
それだけで、世界はずいぶん静かになる。
僕はそのことを、Googleドライブから荷物を運び出しながら、わりと本気で実感したのだった。
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AIやクラウドは便利です。
でも、便利さに全部を預けすぎないことも大事だと感じています。
このニュースレターでは、AIを日々の作業や外出前の準備にどう使うか、実体験ベースで書いています。
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